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  2014/05/31(土) さようなら 山路慎一






 2014年5月26日 闘病中の山路慎一が病院で死亡
何度も病魔を乗り越えレースに戻ってきたが・・



長年スーパーGTなどハコ車で闘った山路選手
  500クラス300クラスで4回の優勝を飾る--



1991年 フォーミュラミラージュ開幕戦での勇姿
初戦と最終戦富士で圧倒的な速さで優勝!



1998年5月 全日本GT選手権第2戦の大事故
 誰よりも早く消火活動を行い太田選手を救った



近年は富士スピードウエイのレース
やD1などで競技長を務めていた



2003年5月 ベストモータリングの
フェラーリ対決筑波ロケにて



















 2014/05/31(土)  さようなら 山路慎一


レーシングドライバー山路慎一氏が亡くなった。 がんで闘病中だったとのことだが64年生まれのまだ50歳、あまりにも早すぎる死だ。 スーパーGTや全日本ツーリングカー選手権など、主にハコで活躍してきたドライバーだが、レース歴はとても長い。91年、フォーミュラミラージュで鮮烈なFSWデビューを飾ったとき、CATS SPEEDは縁あって山路のチームにアウターを提供するスポンサーだった。 その時の映像が上の2つだ。

とくにシリーズ最終戦は、大雨の為この日メインのF3000が中止となり、当時のテレビ朝日が急遽フォーミュラミラージュを実況中継することになった。 お蔭でトップを独走する山路のマシンをずっとカメラが追いかけ、CATS SPEEDのロゴも延々とTV中継されるという何とも素敵な珍事が起きてしまった。

2003年、ベスモのフェラーリ対決筑波ロケで12年ぶりに山路と再会した。 お互い悪い印象を持っているハズもなくあの日をサカナに大いに盛り上がった。 彼は一緒にロケに参加した黒沢琢弥や道上龍らと並ぶ国内トップドライバーになっていた。

しかし、山路慎一の名を一躍世に知らしめたのは、98年の富士スピードウエイ・全日本GT選手権で起きた大事故で、炎上するフェラーリに閉じ込められた太田選手を果敢にも一人で助けに行ったあのシーンだろう。
山路は走行中のマシンを即座に止め、誰よりも早く現場に駆け付けたのだ。 近くにいたハズのオフィシャルよりも、富士スピードウエイの救急車よりも、誰よりも先に消火活動を始めたのは山路だった。 その一部始終はTVカメラが撮影しておりYouTubeで今も観ることができる。

モータースポーツは言うまでもなく危険な競技である。 若くして命を落とすこともある。 しかしレースではなく病魔に倒れて亡くなった山路にはある意味もっと深い悲しみを覚えるのだ。 何度も入退院を繰り返す闘病生活を知らなかった私には、死ぬハズの無い人が突然死んでしまったショックがあるからかもしれない。 誰からも愛されたあの笑顔に会うことはもう出来ないのだ・・

山路慎一氏のご冥福を心からお祈りいたします。






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